ねこやまローカボ日誌

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中学受験ブログ22 生徒が気づいて欲しい変化には、予測と指摘が効果的(褒める技術)

生徒が気づいて欲しい変化には、予測と指摘が効果的(褒める技術)

 

思いがけない、喜びのツボ。

 

一人一人に性格や思想があるように、喜ぶ要素にも違いがある。

ただ多くの受験生が喜ぶ、指摘して欲しい要素がある。

 

生徒を褒める上で重要なのは、その褒めの規模ではない。

彼らが求める要素は、表面的な変化ではない。

 

受験生が褒めて欲しい、自身の行動

そしてそれに伴い変化した事実を、的確に指摘されること。

 

 

これは一人の中学受験生と体験した、2年間の受験記録。

お時間のある際にでも、お読みいただければ幸いだ。

 

~ 過去のバックナンバー ~

 

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シンプルだから工夫しやすい褒め技術

シンプルだから工夫しやすい褒め技術

 

計算式を綺麗に書けた。

 

ただその一言の褒め言葉に、過剰なまでに反応したコウスケ。

私は彼のリアクションに、何かしらのヒントを得た気がした。

 

正しく効果的な褒め技術は、かなり難しい。

そんな固定概念は、もちろん継続して持っていた。

 

しかしそれでもなお、シンプルな指摘が効果的だった。

その事実こそ、私がすがりつきたい突破口だった。

 

 

なぜなら、当時の私はまだ23歳

社会人になりたての、大学生成分98%の若者である。

 

熟考を心から楽しめるかと言えば、そうではない。

出来れば単純な、これだけやれば良いという思想が欲しかった。

 

それは単に、複数の生徒を担当していたから。

どうせ褒める技術を習得するなら、彼ら全体に効果のある方法を知りたかった。

 

もちろんそれは、今振り返ると誤った発想かもしれない。

個々の生徒に対して、独自の褒め方を身に着けるべきだろう。

 

 

しかしお仕事を成功させるうえで、バランスも非常に重要。

理想だけではなく、自身が許容できる行動を選択することは不可欠である。

 

コウスケを合格させるには、私自身が今段階で可能な行動を選択する。

そしてコウスケと共に、私も行動可能範囲をじわりと広げていく。

 

 

そのため、このシンプルな褒め技術。

変化だけを指摘する方法は、非常に取り組みやすかった。

 

もちろんこの技術も、さらに練り上げる必要がある。

このまま使うだけでは、ただの実況検分になってしまう。

 

不要な言葉を外したり、生徒が嫌う言葉を避けたり。

少しだけ大きく驚いて見せたり、連日指摘したり。

 

その工夫の方法は、まさに無限。

コウスケに最も響く言葉を、少しずつ精査していこう。

 

まるでホームページのCSSを、何度も微調整するように。

この単純な褒めテクも、少しずつ完成形に近づけていきたい。

 

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変化を予測することで、高められる褒め技術

変化を予測することで、高められる褒め技術

 

そして授業は、すぐにやって来た。

 

あと残り数週間で、クラス分けテストも始まってしまう。

やることが山積している期間とは、何とも早いものである。

 

私は前回の授業を思い返し、同じ方法で挑むことにした。

同じ行動を繰り返せば、より効果的な褒め技術が見えるかもしれない。

 

ただ前回と違うのは、より褒めやすくする工夫。

コウスケがこの一週間何をやったのか、事前に把握することにした。

 

まずは連絡帳を見て、家での過ごし方を確認する。

びっしりご家庭の報告が書かれたこのノートには、情報も満載なのだ。

 

 

コウスケが学校で出された宿題は、どのくらいあるのか。

塾の宿題を、いつ誰とどれくらいの時間やったのか。

 

どんな問題を解いて、どんなところで躓いたのか。

眠くならなかったのか、最後まで頑張れたのか。

 

 

これは既に、答えの様なものである。

まさにこれぞ、私が欲しかった情報だった。

 

コウスケがこの一週間、どの様な行動をしてきたのか。

これを端的に指摘すれば、きっとコウスケは喜ぶだろう。

 

 

……。

しかし。

 

この方法は、何かが違う。

何というか、体感的な違和感を感じてしまった。

 

確かにこの一週間、どんな努力をしたか。

コウスケは私に、知って欲しいと思っているだろう。

 

しかしそれは、あくまでも行動自体を褒めているだけ。

行動を継続する中で発生した、変化自体を褒めているものではない。

 

つまりそれは、表面的な褒めの一種。

私が岸本先生に指摘されていた、禁じられた種類の褒め方だった。

 

 

何と紙一重な、褒めテクニック。

正しく褒めたつもりでも、一気にうわっつらの言葉に変わってしまう。

 

大切なのは、コウスケがこの一週間どの様な努力をしたか。

そしてその結果、具体的に何が変化したか。

 

この点だけを、端的に指摘する。

そのための情報は、あくまでもサポート役に過ぎないのだ。

 

 ただその情報がなければ、上手く指摘することも難しい。

そのため事前に自宅に電話をするなど、多くの工夫が必要となる。

 

 

 恐らく褒めテクを習得された方も、同じ努力をしてきたのだろう。

そして段々と、その的確な見抜き力を養われてきたのだろう。

 

 

私は再度、深く実感した。

何も事前に用意をせずに、授業に挑めるわけがないということを。

 

それは決して、授業の予習だけではない。

彼らの行動を事前に知り、その変化を予測する目的である。

 

 

上位の先生が、なぜ少数の生徒しか担当したがらないのか。

私はそれを、単純に給料の単価が高いからだと思っていた。 

 

勿論中には、そのような発想をお持ちの先生もいらっしゃるだろう。

単価が高ければ、それほど多くの生徒を保有する必要がないのだから。

 

ただ実際には、それは一つの理由に過ぎなかった。

推察するに、その大きな理由には、物理的な制限が存在しているのだ。

 

 

 本当に満足な授業を行うには、授業の3倍の時間が必要。

 そんな岸本先生のお言葉が、私を貫いた瞬間だった。

 

~ 次回23回に続く ~