中国旅行記26 紹興の現代過去のコントラストと理想的な中国飲み
紹興すごく良い。
ただ一日立ち寄るだけだったが、この街は想像以上に魅力的。時間を気にせず散策するには、今までの街で最適かもしれない。
旅の終着点から二番目の、魯迅の故郷紹興。この街の時間は、ゆっくり柔らかに流れている。
紹興の街並みと現代と過去のコントラスト
のんびり。
この4文字がこれほど似合う街を、存じ上げない。それほどこの紹興は、歩幅が自然と短くなる街並み。
運河の流れに合わせるように、人々がゆっくり生活する。路地にはご年配が椅子に座り、好きな時間を過ごされている。
キセルを吹かす方、隣人と話をする方、愛犬を撫で続ける方。紙麻雀、めんこ、見たこともないオセロなど、その過ごし方は無限である。
さらには昔懐かしい、駄菓子屋も軒を連ねる。楽しかった幼少期を思い出す、最高にグッとくる光景だ。
年齢不詳のぬいぐるみに、今の子供も喜びそうな細やかな玩具。意外と現代の子供たちも、こういった類の玩具には目がないんだ。
そういえば友人の子供も、めんこに狂喜乱舞していたなぁ。己の力で強敵を倒す、そういう爽快感があるのかもしれない。
軒先のお爺さんもお婆さんも、話しながら仄かに笑い合う。きっとこんな毎日を、もう何十年も過ごしされてきたのだろう。
勝手にそんなノスタルジーに浸っていると、もちこの姿が見えない。カメラ片手に走り出した彼女は、一体何をしてるんだろ。
少し周囲を探すと、運河を撮りまくる彼女が。どうやらこの運河に猛烈な興味を抱いたらしく、舟に乗りたい!と連呼している。
あぁ確かにこの運河で船に乗れたら、走馬灯に選ばれるほどの経験だ。そういえば入り口の辺りに、運河を進む観光小船の写真も貼ってあったなぁ。
さらにそういえば、現代と過去のコントラストもまだ見ていない。ここは小舟に揺られながら、その今と過去の対比を眺めさせていただこう。
そう思いながら周囲を探すが、乗り場らしき場所がない。そもそもここに到着してから、一度も船を見ていない気がする。
どこどこ?小舟どこにある?
早くしないと夕方になり、きっと乗れなくなってしまう。ここにはライトアップもないから、絶対夜はやっていない。
ちょっと焦りながら、二人で手分けをして船を探す。道端で雑談中のお婆ちゃん方も、何かお探しかい?と、心配そうに見てくれている。
あった!!
あった…けど…?
これがきっと、運河を進む小舟かな?想像以上に小さなフォルムだが、水面と同じ目線で進めそうで、間違いなく楽しそうだ。
ただ周囲に人は全くおらず、船もカバー的なもので覆われている。もしや田舎の野菜ショップみたいに、箱にお金を入れて乗るセルフサービス形式なのかな?
いや仮にそうだなら、速攻沈む自信がある。出発直後に沈んでいる姿を想像すると、笑うしかない自爆テロだ。
想像で笑いそうになりながら、それでもチケット売り場を散策する。この小舟があるのだから、きっと近くにあるはずだ。
もう終わりやで。
近くの眠そうなわんこに、そう言われた気がした。そして同時に、近くの看板で16時までとの表記を発見する。(2017年10月時点)
既に時刻は17時10分、残念ながら閉店ガラガラ。もう少し早く到着していたら、きっと優雅な想い出が増えただろう。
紹興の現代と過去のコントラスト
ぎゃー!!と残念がるもちこをなだめつつ、私もちょっと落ち込んでしまう。仕方ない、いつかまたのんびり揺られにお邪魔しよう。
そんなことを考えつつ、もう一度運河に沿って散策する。きっと船から望める光景は、徒歩でも別の感動で味わえるだろう。
すると突然、おおおっ!と声の出る光景に遭遇する。どうやらこれぞ人々が素晴らしいと口にする、あの光景に違いない。
現代と過去。
そういうことか。つまり過去の暮らしの背景に、巨大な都会が写り込むんだ。
確かにこれは、ちょっと今まで見たことがない。ありそうでなかった!と言い切れる、お菓子なら新製品になる珍しさだ。
過去の暮らしを壊さぬよう、そっとそびえる高層ビル。パソコンのスクリーンセーバーのような、美しいコントラスト。
これはすごい。違和感満載の光景に、遠近感が奪われる。
ただその光景は残念ながら、肉眼だから凄いのかもしれない。誠に申し訳ないが、このように写真にすると痛感するような感動は減ってしまう。
ただそれでも、この写真を眺めると想いが巡る。この紹興が、いかに綺麗に発展したのかと。
何百年も変わらないのだろう人々の生活と、遠くにそびえる高層ビル。その対比を眺めると、何だか国境線にいるみたい。
次第に変化する街並みに併せ、この街の若者はどんな選択肢を取るんだろう。家業を継ぐもの、都会に出るもの、その選択肢は一つではないのかも。
私も大学進学時に田舎から上京したため、その気持ちはよく分かる。ただそれでも帰る故郷があるというのは、最高に幸せなことだ。
そんな勝手にノスタルジー2を展開していると、何だかお腹も減ってきた。そういえば朝もお昼も軽食で、本日はガツンと一発食べてないなぁ。
止まらぬシャッターを根性で止め、晩御飯の散策に繰り出そう。きっとこの紹興なら、紹興酒を片手に素敵飲みができるだろう。
そう考えながら道を歩くと、大きな人混みに迎えられる。どうやら繁華街らしく、襟元を引っ張られる興味が山盛りだ。
ただあんまり寄り道すると、胃袋が反乱を起こす。ここは場所を厳選し、最も面白そうな場所にだけ突撃しようかな。
そう考えて選んだのが、こちらの市場。
眺めるだけで魅力を感じる、複数の香りが集まる広大な広場。この場所を見つけた時、避けられない引力に引っ張られてしまう。
現地の人々のを支える、無数の食料品店街。その道幅は築地並みに広く、早朝はヴイーン!と搬入車がすれ違うのだろう。
30分だけ見せて!ともちこに告げると、長すぎるわと真顔で言われる。きっと空腹感も、耐えられないほど空っぽなんだ。
素晴らしい…。
全部くださいって、中国語でなんて言うんだろう。
あらー。生々しい。
でもこういう海鮮系の生々しさ、最高だ。
深呼吸しとこ。(スーハ―)
おおー。マッドサイエンティストの研究所みたいだ。
一番右の物体は、一体なんじゃろ。
もうだめだ。
これ以上ここにいたら、お財布を刈られる。お漬物や食器や果物など、なんでも揃うこの市場は教育に良くない。
この近くに家を借りたら、きっと毎日が最高だ。朝ご飯はお漬物を買って、白米だけを炊く日々になりそうだ。
100日ほど、そんな日々を過ごしてみたい。長い人生で100日くらいなら、社会もお財布も許してくれるかな。
しかし楽しい。コストコで身動きできなくなる、あの感覚とそっくりだ。
ただ食べ物ばかり眺めていると、やはり空腹感もさらに加速する。早く晩御飯を探さなければ、胃袋と相方の米一揆が勃発する。
急げ急げ…。
とりあえず鲁迅故里を目指し、今来た道を逆走する。その道程でも高層ビルが乱立し、兄弟のような街並みに驚かされる。
そういえば、何か忘れている気がする。確か私は、鳳凰で何かやってしまったような…。
…そうだっ( ゚Д゚)!
そういえば、大切なことを忘れていた。
思い返すと鳳凰にいた時、パンツが全滅していたのだった。手洗いで洗った結果、全て生乾きで殉職されてしまったのだ。
今ここでパンツを買っておかなければ、きっと今晩は¥後悔する。泣きながら生乾きパンツを履くことになり、もちこからは接近禁止令が出されるだろう。
慌てて近くのドラッグストアに入り、パンツコーナーに突撃する。この時この紹興が、大都会で本当に良かった。
渋すぎる。
いやいや、こんなガチじゃなくてもいい。もっと気の抜けた、お安いバックパッカー感溢れる逸品がいいんだ。
さらに34元(約578円)という値段も、今の私には高すぎる。一週間でダメになる生地でいいから、爆安価格はないものか。
可愛い。
この宇宙飛行士わんこのパンツにしよう。一枚10元(約170円)の低価格も気に入ったし、デザインが何よりポップで愛らしい。
いやぁ、思いがけず良い買い物ができた。あとはレジに並び、女性店員にこのパンツを手渡すだけだ。
ここで履いていきますか?とか、聞かれないよな。中国、そんな文化ないよね?
最高の中国飲み威亨酒店
素敵な買い物を終了し、さらに道をどんどん遡る。すると鲁迅故里は夜を迎え、通りは閑散と静まり返っている。
私たちも少し慌て、本日の晩御飯を散策する。きっとこの場所の近くに、大きなご飯処があるはずだ。
教えてください、福沢諭吉先生。この近くに、美味しいご飯処はありませんか。
紹興酒も飲め、人々の活気で溢れているような。ジモティが集まる、そんな素敵な場所をご存じありませんか。
あ、これ魯迅先生だ。(こらっ)
そんな小ボケを挟みつつ、捜索すること約1時間。猛烈な空腹感に襲われながら、遂に本日の終着点に辿り着く。
( ゚Д゚)!!
ま、まさか…この場所は…!!
(ダダダダ…)
この看板、間違いない…。
これはあの有名な…。
威亨酒店だ!(カンキョウショウテン)
まさかこのお店に、巡り合えるとは思わなかった。この場所こそ紹興酒を存分に楽しめる、お酒飲み達のメッカといえるお店である。
上海にも店を構える、いわば超有名酒店。その評価は軒並み高く、さらにここは紹興酒の本場紹興じゃないか。
そういえば威亨酒店は、紹興にあると聞いたことがある。神保町にも同じ名前の店があったが、タラちゃん的な従弟なのかな。
しかし偶然とは言え、なんたる幸運。この旅も終盤になり、旅の神様がニッコリしている気がする。
この場所なら、過去最高峰の酒飲み会を披露できる。きっとお値段はわんぱくだが、ここは通り過ぎられない。
入り口には大量の紹興酒が販売され、その量は甚大。価格も鳳凰並みにお高く、このお店が本物だと直感する。
いいよぉ…。激高だよぉ…。お財布締め付けてるよぉ…!
もはや素面でこの有名店を通り過ぎるのは、きっと無理。英単語100個は忘却する、そんな一晩になる気がする。
そして早速店内に突撃すると、このお店の本物たる所以に迎えられる。
入場料だ。
どうやらここでは先に、店内で購入する料理のデポジットを購入するらしい。そしてそのデポジットで料理を購入する、いわば前払いの小料理店のようなイメージだ。
素晴らしい。
一瞬ディズニーランドかと思ってしまった。もしかしたらショウコウ君とか、そんな名前のゆるキャラと写真を撮れるかもしれない。
とりあえず100元(約1.700円)をチャージし、このお店の適正価格を図りに行く。おそらく100元では足りないが、爆安の可能性も捨て切れない。
そしてデポジットカードを片手に、さらに店内最奥に突撃する。するとそこには、ディズニー並みに楽しい光景が繰り広げられていた。
楽しい。
もう最高に楽しい。願っていた中国の飲みとは、まさにこの煩雑さと混雑さだ。
大きな食卓でご馳走を囲み、人々が大いに笑いお酒を酌み交わす。楽しい時間を共有し、そして日々の活力を補給する。
いいよぉ…!理想の感じ出てるよぉ…!!
さらに数え切れない料理に迎えられ、思考が停止する。どれを選んで良いのか考えられず、電源を切られたASIMOみたいになる。
こんなに魅力的なお料理が並び、一つだけなんて選べるわけがない。まるで合コンで全員圧倒的に好みだった、そんな自由の牢獄にいるようだ。
しかし価格はやはり高く、通常のお店の約2倍。小鉢のスイカも30元(約510円)と、なかなか財布をいじめるお値段だ。
でも本日は、全く持って問題ない。いざとなったらカードも使えるし、名目上のバックパッカーも今晩はそっとじしよう。
そしてここで、一つの問題が。それは目の前に並ぶ、中国人おばちゃん集団である。
長いんだ。そりゃもう長いんだ。
お料理を決めてから並べば良いものの、まさかの並んでから注文を決め始める。
しかも一人当たり約3分悩み、注文場はあっという間に長蛇の列に。注文だけで15分近く時間が経過し、列に並んだ人々の食欲が爆発する。
早くしろよ!何してんだよ!
そんな怒号が飛び交い、注文場は緊張感に包まれる。確かにこの状況でおあずけをくらうとは、何たる了見だ。
ただ、おばちゃん達には関係ない。
何にしようかしらねぇ?あら、これなんていいんじゃない?
あら、あなた私と同じお料理にするの!じゃ、私こっちにしましょ!
いやねぇ!そんなものばっかり食べてるから、あなた太るのよ!
そんなことないわよ!これでも毎朝ヨーグルトで、腸活してるのよ!
がはははははは!
強い。(確信)
周囲の怒号など、彼女達には関係なし。このおばちゃん達の関心は、美味しいものだけだ。
欲しい。この強さ、良い感じに吸収したい。
もちろん彼女達の強さを全て吸収すると、きっと内部から爆発する。しかしこの生きる力をお裾分けされれば、きっと人生は最高にHAPPYだ。
結局彼女たちに約20分ほど待たされ、遂に食事をゲットする。おかげで空腹感も割り増しされ、きっと最高の晩御飯になりそうだ。
あぁ幸せだ。
左上の紹興酒を始めとし、ずらりと並べられた魅惑の料理たち。今までの中華とは性質が違う、ハイセンスなお料理集団だ。
その価格は紹興酒を含めて、全部で約200元(約3.400円)。さぁここから、怒涛の幸福タイムをエンジョイしよう。
まずは鉄板の味付けを期待させる、茄子の黒酢味噌炒め。きっとあだ名はトロトロだと思われる、至福の逸品だ。
皮も柔らかく、丁寧に施された下処理施。白米の進み方もとんでもなく、胃袋に向かって全軍が進軍する。
さらにしし唐の香味炒めも、お酒を猛烈に薦めてくる。流石は紹興酒のメッカ、お酒に合う味付けが、あらゆる料理に施されている。
旨い。白米に合い過ぎる。いや正しくはこちらが主役で、白米の方が合い過ぎるのかもしれない。
さらに名前も全く分からない、こちらの謎料理。一口食べると柔らか揚げチキンだと気が付くが、問題はその驚異の食感だ。
その味わいと香り、そして舌触りは完全にカマンベール。恐らく発酵料理だと思われるが、これは未知の美味しさだ。
濃厚さと旨味が集結した、一度に多く頬張れない味。こちらも主役の紹興酒をグッと引き立てる、濃いめの味わいだ。
そして主役の紹興酒。
これがまた、とんでもなく独特の香り。何年も寝かされたワインの底に溜まった、濃厚な舌触りだ。
美味しいかどうかと聞かれると、素直に美味しいと答えられる。ただクセは尋常ではなく、日本で飲む紹興酒とは全くの別物である。
ただもちこはガブガブ飲み始め、あっという間に口数が倍になる。どうやら大変お気に召したらしく、すぐさまお代わりを求めて注文場に走り去る。
そして帰ってきた右手には、倍のサイズの紹興酒が。どうやら完全にスイッチが入ったらしく、カードを没収する必要がありそうだ。
ただ確かに、これは一杯では満足できない。体感的な度数はワインの倍程度だが、潰れるまで飲めそうな中毒性を感じる。
あぁなんだか、全ての料理がふくよかな味付けだ。流石は威亨酒店、お客人を喜ばせる卓越した技をお持ちである。
さらに周囲を見渡すと、人々が圧倒的な声量で騒いでいる。笑い声や話し声、乾杯の合図から食器の当たる音、楽しそうな音で一杯だ。
ざっと30人、ご年配の団体様。きっと同窓会なのだろう、真っ赤な顔で皆が楽しそうに笑っている。
お爺ちゃん、その頬が赤いのは紹興酒のせいなのか。もしくは昔好きだった、隣のお婆ちゃんに照れちゃってるのか。
多分後者だと思われる、中央テーブルのお爺ちゃんの照れっぷり。言語も分からない日本の若造にバレるとは、結構な純粋お爺ちゃんだ。
ただその光景を見ていると、将来こういう同窓会を開きたいと痛感する。きっと今とは違う感情で、色々な幸福感に包まれるだろう。
小学校の頃のみんなは、元気だろうか。ふと故郷の岡山県を思い出す、何とも素敵な団体様だ。
しかし。
そんなしっぽり大人飲みとは、一線を画す団体も。それは私達の隣の円卓で開催された、中国人達の乾杯の音頭だ。
一目でヤバいと悟る、彼らの勢いと無数の紹興酒の瓶。怒号の音頭と共に、一人の女性が席を立つ。
あなたまさか。
吉本新喜劇を彷彿とさせる、緊張と緩和。全てのカメラが向けられたとき、彼女の本気が披露される。
決して演出だけではない、彼ら中国人達の本気飲み。その瞬間は、見ているだけで紹興酒の味が口に広がる光景だった。
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